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歴史と伝統

19 世紀の金融界および政界での秀逸さで知られ、非常に有力なアングロ・アメリカン系アスター家の一員、ジョン・ジェイコブ・アスター4世はまず、ニューヨークのパークアヴェニューに1897年建設の著名なウォルドーフ・アストリア・ホテルのオーナーになります。

好奇心旺盛な人物であるアスター卿は科学(数々の発明に関する特許を申請)だけでなく文学にも優秀でした。1898年、米西戦争中に大佐となります。

1905年にパリに保養で来ていたアスター卿は、ベルエポック期の欧州の貴族や知識人たちの間で出会いの場となっていたアストルグ通り31番で、文学サロンを開いていたグレフュール伯爵夫人と面会します。この地に魅せられた彼は、1907年アストルグ通り11番に名祖となる邸宅、ホテル Royal Astor (ロワイヤル・アストール)を建てます。そしてこれが100年後にホテル Astor Saint-Honoré(アストール・サントノレ)になります。当時のこの近隣にはエドモンド・ロスタン、ポール・クローデル、オーギュスト・ロダン、マン・レイ、ジョルジュ・クレマンソー、レイモン・ポワンキャレらが住んでいました。

その後世界的な名声を博することになったこのホテルへのアスター卿の思い入れは、こういった歴史・芸術的背景に支えられているのです。

1911年、アスター卿はマドレーヌ・タルマージュ・フォルスと結婚。1912年4月10日、若夫婦はシェルブールからサウサンプトン経由でニューヨーク行きの船に乗ります。数日後、アスター卿はタイタニック号の沈没で帰らぬ人となりました。

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